馬場氏におつかえした名医であり、東濃俳句、桜堂俳句会のリーダー的存在でした。宝暦5年(1755)桜堂薬師宝暦観花大句会を主催しました。墓には、辞世の句が刻まれています。

(釜戸再発見mapより)

 江戸時代の元文(一七三六)~寛保(一七四一~)ころには、釜戸・土岐・明世・山田・大湫・日吉などに俳譜グループが誕生しているが、これらのリーダーが釜戸の安藤松軒(範高) ・白兎(範倶)の父子である。
 安藤松軒は、天和二年(一六八二)釜戸に生まれ、竃山人と号して宝暦五年(一七五五)、七三才で没している。その間、加賀の千代女とも交友し、子白兎と共に東濃における美濃派俳譜の中心人物として活躍している。
 松軒は没年の春、桜堂薬師に美濃派正統の、蓮阿坊白尼・五条坊木児らを招いて「宝暦五年観花の句会」を行ない、記念句額を薬師に奉納し、「蓮の実や どこへなりとも 飛び次第」の辞世句を残して八月十三日他界している。
 二代松軒白兎は、寛政三年六月、桜堂薬師で東濃大句会を行ない寛政句額を同薬師に奉納している。白兎は寛政十年(一七九八)に釜戸町宿に、俳聖句碑を建てて、芭蕉の百年忌供養をしており、文化元年九月、父の辞世句を受けて
「飛んだ実の 生えて又とぶ 蓮(はちす)かな」の一句を残して他界し、その後は子の里仙が継いでいる。安藤父子の墓は、釜戸駅の北側墓地の最上段(国道十九号線のすぐ南側)に残り、墓石に、辞世の句が刻銘されている。尚、市内には俳聖芭蕉を偲んで各地区の句会が指導者と協力し、句碑が建立されています。

(瑞浪の石造物より)

瑞浪の俳人たち

 記録では正徳・享保(元年は一七一六)ころのものが最初で、
・日吉などにグループが誕生しています。
 このリーダーが釜戸の安藤範高(俳号松軒)と範倶(白兎)の親子のようです。
 松軒は天和二年(一六八二)釜戸に生まれ、宝暦五年(一七五五)に七三歳で没していますが、その間に瑞浪俳界の第一人者として、グループを育成しているほか、加賀の千代などとも交友しています。
 土岐町桜堂薬師には、松軒が主催して奉納した宝暦五年の句額が残っていて、美濃派の蓮阿坊や五条坊、それに中津川・岩村・苗木・御嵩・兼山などの俳人の名とともに、釜戸六人、土岐・稲津各四人、明世二人、山田一人の、当時の市内におけるトップクラスの人々の句がしるされています。
 松軒はこの年の八月に世を去りますが、釜戸町大島の墓碑には子の白兎のものと並んで、
  蓮の実や どこへなりとも 飛び次第 (松軒)
  飛んだ実の 生えて又とぶ 蓮(はちす)かな (白兎)
の辞世の句が刻まれています。
 また、大漱グループとのやりとりに、
  大くての せせなぎに住む 溝いたち いまだ貂(点)には 及ばざりけり(松軒)
  かまど村 長いようでも 松軒の あごの長さに 及ばざりけり (大湫よりの返歌)
などという歌を残し、当時の俳人たちの愉快な一面をしのぶことができます。
 また月吉の和水・日吉の寸芝なども指導的な俳人の一人で、山田グループは和水を師匠に招いて俳諧入門をしており、寸芝は「孫彦に 咲けとて散るや 老の花」などすぐれた句を残して、日吉町本郷小高の寸芝塚に祀られています。

(瑞浪市の歴史より)

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