カテゴリー:■ 中山道
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2022.7.13-16 大湫宿 観音堂公開 【第四番】秀峰山 圓通閣
大湫宿 観音堂公開 ■実施期間令和4年7月新暦お盆御開帳に合わせて*第1日目・・•7/13日(水)*第2日目・・•7/14日(木)*第3日目・・•7/15日(金)*第4日目・・•7/16日(土) ■… -
中山道境
中山道境 中山道は、東海道と同じく、江戸日本橋を起点に草津と東海道合流、そのまま大津から京都三条大橋に達する全長百十五里二十二丁、宿場数六十九の東海道とならぷ日本の幹線道です。 (釜戸再発見mapより) … -
十三峠 大久後向茶屋跡
恵那市境から大湫町境の樫ノ木坂まで約2.2km 市境の「中山道」の碑の西から、舗装道路で西行した中山道は、茶屋坂の途中でこれと別れ、細い舗装道路となって茶屋坂を上って水田のある狭い平坦地に出る。 この平坦地を… -
十三峠 新道坂
平坦地を「茶屋ヵ原」と呼んで、大久後向茶屋のあった所で、道はすぐ観音坂と新道坂の分岐点に出る。もともとの中山道は左(南)手の観音坂コースで、右(北)手の新道坂はその名の通り、観音坂の急坂を避けて江戸時代の後半に開かれ… -
巡礼水と馬頭様
大湫宿と大井宿の三里半(約13.5km)は「十三峠におまけが七つ」と呼ばれ、二十余りの山坂道をいい、中山道の中でも難所の一つでした。十三峠は、大湫宿東端の寺坂から、巡礼水の坂、権現山の一里塚、観音坂を過ぎて恵那市への… -
観音坂と馬頭様
大井宿と大湫宿の間の三里半(約十三・五km)は、起伏にとんだ尾根道の連続で、「十三峠におまけが七つ」とも言われ、中山道の中でも難所の一つでした。 ここは「観音坂」と呼ばれ、瑞浪市の東の端、釜戸町大久後地区に位置してい… -
十三峠 大久後駐車場
中山道を散策される方は下記の駐車場が利用できます。みんなが気持ちよく利用できるようにマナーを守って使いましょう。 常時開放されており無料で利用できますが、多くの方にご利用いただけるように長期間にわたる駐車はご遠慮く… -
十三峠 大久後の観音堂跡と弘法様
観音堂の建物は、今は建っていません。 「蚕神」 はオシラサマ、オシラ神などと呼ばれ、江戸末期から大正期にかけて愛知・長野・山梨などの養蚕県での造立が見られる碑です。 当市でも、明治初年から養蚕・製糸が普及し、特に明治… -
十三峠 尻冷しの地蔵尊
十三峠 尻冷しの地蔵尊 昔の旅人にとって道中の飲み水は大切でした。山坂の多い十三峠では特に大切であり、ここの清水は大変貴重とされました。この地蔵尊は、そんな清水に感謝して建てられたものですが、ちょうど清水でお… -
十三峠 童子ヶ根
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十三峠 山之神坂
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十三峠 寺坂の石仏群
宗昌寺の北側に所在する5基の石造物です。右端の聖号碑は寛延4年(1751)の銘を有します。 … -
十三峠の三十三観音
十三峠の三十三観音 険しい山坂の連続する十三峠は、旅人ばかりでなく、宿や助郷の人馬役のものにとっても大変な道でした。この観音仏は人馬の道中安全を祈って建てられたものですが、寄進者の中に定飛脚才領中や中馬連中の… -
中山道 一里塚
瑞浪市内の中山道には、昔のままの姿で一里塚が残っています。東から、権現山一里塚、八瀬沢一里塚、奥之田一里塚、鴨之巣一里塚で、連続して4ヶ所もの一里塚が残っている例は全国的にもまれです。 瑞浪市日吉町・大湫町 … -
中山道 切られ洞碑
昔、牛を追ってきた人が、強盗に斬られたといういわれがある洞の碑です。詳細は不明です。 … -
中山道 平岩くじ場横の馬頭観音
平岩の馬頭観音から東へ約190mの中山道北側に所在します。高さ約57cmの花巌岩類製で、文政7年(1824) の銘を有します。 … -
中山道 平岩の馬頭観音
平岩橋から東へ約220mの中山道北側に所在します。高さ約55cmの花尚岩類製で、明治28年(1895) の銘を有します。 … -
中山道 平岩辻の山灯篭
平岩橋から西へ約30mの中山道北側の個人住宅敷地内に所在します。向かって右側側面に文化11年(1814) の銘を有します。 … -
中仙道 鴨之巣辻の道祖神碑
中山道の鴨之巣辻に道祖神が建てられています。高さ約55cmの花尚岩類製で、正面文字碑に「道祖神駅路安全」の文字が彫られていますが、造立年代は不明です。道祖神は災いや悪霊を防ぎ、 旅の安全をつかさどる神様です。… -
中山道 鴨之巣道の馬頭文字碑
中山道の鴨之巣辻の中山道南側あり、高さ約55cmの花尚岩類製で、正面文字碑に「道祖神駅路安全」の文字が彫られていますが、造立年代は不明です。 … -
中山道 大湫宿
広重画「木曽海道六拾九次 大湫宿」 大湫宿は江戸から47番目の宿として、海抜510mの高地に設けられ、江戸へ90里半、京都へ43里半、東隣りの大井宿へ3里半、西隣の細久手宿へ1里半、美濃16宿の中で最も高く、そ… -
中山道 細久手宿
広重画「木曽海道六拾九次 細久手宿」 細久手宿は江戸から48番目の宿で、江戸へ92里、京都へ42里の位置にあり、東隣りの大湫宿と西隣りの御嶽宿の両宿間は4里半と長く、両宿の人馬が難渋したため、慶長11(… -
大湫町 神明大杉 神明神社
大湫町 神明大杉 2022.3.27完成式典 2021.12.7現在 推定樹齢… -
2020.10.24-11.8 天野裕夫 彫刻展 御神木再生Ⅰ
大湫町出身在住の彫刻家 天野裕夫がこれまでに制作した、大杉の部材を用いた作品5点を、大湫町文化祭に時期を合せ展示いたします。 さらに、大杉再生の一つのプランとして検討されている『エスキース~烏帽獅子』も同時… -
2020.10.24 中山道17宿歩き旅2020
マイカー移動プラン 明智光秀ゆかりの地探訪シリーズ 中山道沿線地域に散らばる明智光秀ゆかりの地を、歴史案内人 草野道雄先生のガイドで巡ります。(全4シリーズ) 光秀の出自 土岐明智氏 10月24日㈯… -
大湫宿 旧森川訓行家住宅 丸森 (瑞浪市中山道観光案内所)
国登録有形文化財「旧森川訓行家住宅(丸森)」は、中山道大湫宿の北部にあり、宿内の一族のなかでおのおのを区別するために「丸森」と呼ばれました。旅籠屋を営んだほか、尾州藩の許可を得て塩の専売も行い繁… -
大湫宿 森川善章家住宅主屋(新森)
旧森川善章家住宅(新森)を活用しませんか? ~ 活用プラン・活用者募集中 ~ (終了しました) 現在、瑞浪市では、中山道大湫宿を保存活用していく事業を推進するため、宿内にある国登録有形文化財のひとつである… -
大湫宿 高札場
宿の西端に設けられていましたが、平成10年に歴史の道整備事業の一環として往時の姿が再現されました。尚、現存する定高札は公民館で見ることができます。 … -
大湫宿 脇本陣
【一般公開はしていません】 建坪は開口16間余、奥行き6~12間の98坪。部屋数19、畳数121畳。別棟4。門構え・玄関付きで一部改修・縮小されていますが、概ね往時のままの姿をとどめています。 [gall… -
大湫宿 本陣跡
大湫小学校(廃校)の校庭にあった、間口22間(約40m)、奥行き15間(約27m)、部屋数23、畳数212畳、別棟添屋という広大な建物で公卿や大名、高級武士たちのための宿舎でした。また数々の宮姫のほか皇女和ノ宮が… -
大湫宿 保々家住宅主屋
江戸中期・江戸後期改築。国の登録有形文化財。中山道大湫宿の脇本陣。正面の庇上の小壁には木瓜型の窓や桔梗紋の漆喰飾りがあり門とともに宿場の中心的な建物として往時の面影を色濃く残している。… -
大湫宿 三浦家住宅主屋
江戸末期。国の登録有形文化財。中山道大湫宿にある旅籠を兼ねた住宅。格子造りの外観は宿場の景観をよく伝えている。… -
大湫宿 大湫宿元禄大火注進書
江戸、元禄14年(1701)。大湫宿の54軒の宿が全焼した際に、幕府の道中奉行、領主尾州藩の郡奉行へ提出した注進書(事件・事故の報告書)の控え。… -
【中山道 細久手宿】大黒屋旅館
中山道細久手宿にある、かつての尾州家定本陣です。現在の建物は、安政6(1859)年に再建されたものです。本卯建・玄関門・式台・上段の間なども往時のままに残っています。 玄関にはいくつものツバメの巣があり、階段の上には… -
細久手宿 【客番】細久手庚申堂
宝暦以来の小堂宇を寛政10(1798)年の宿中大火のあと、宿の鬼門除けとして享和2(1802)年に再建したものです。 宿内はもちろん近郷や旅人からも「細久手宿のこうしんさま」として親しまれたお堂で、ここからは宿… -
中山道 琵琶峠
遠い昔、この峠で休んでいる若者がいました。 都へ琵琶の勉強に行きましたが、あきらめて奥州へ帰るところでした。 するとふしぎな音楽が聞こえてきて、若者はうっとりと聞き惚れていました。 それは坂の… -
中山道 弁財天の池
大湫宿と細久手宿の中間に位置し、太田南畝の「壬戌紀行」にも「小さき池あり 杜若(かきつばた)生ひしげれり 池の中に弁財天の宮あり」と記述された750㎡ほどの浅い池で、小島に天保7(1836)年に再建された石祠が… -
中山道 十三峠
十三峠 中山道大湫宿と大井宿の間の十三峠は、その名のとおりアップダウンが多く、難所とされていました。この区間には、三十三所観音、権現山一里塚、尻冷やし地蔵、樫ノ木坂の石畳など多くの史跡が残っています。 瑞浪市大湫町 …